爰に力と頼みし妻を失ひ愛児南祖丸を月志法印に托した宗善は今は何をか楽しまんとて馬を数多牧し老後を慰め暮して居た。 

 然るに不可思議なる事は如何なる悍馬も宗善の厩に入れば直に悪癖が直り名馬と化るのを見て、里人は何れも之を奇とし宗善の没後には宗善の霊を祀りて一宇を建立し馬頭観音と称へ其徳を偲んで居るが、奥州南部地方の習慣として馬頭観音を蒼前(宗善)と言ひ、又宗善は絵馬を描く事を楽しみとしてゐたので後世に至るまで絵馬を御堂へ奉納する風習が残つたのである。

 そして永福寺へ弟子入をした南僧坊は日夜学問を励みその明智、非凡絶倫には月志法印も舌を捲いて感嘆するのであつた。かくて其後数年を過ぎ南僧坊は茲に十三歳の春を迎ふるに到つた。 

 円明鏡の如き清らかな念仏修行、はらはらと散る桜花の下に南僧坊は瞑想に耽つて居た。幽寂の鐘の音は止んで夕暮近き頃、瞑想よりフト我に帰つて彼方の大空を眺め、亡き母が臨終の遺言をぢつと考へ込んだ。アア我母上は枕頭に吾を招き苦しき息の下から「弥勒の出世の大願を忘るる勿れ」と言はれた。 アア弥勒-弥勒出世の大願、併し乍ら自力にてはとても叶ふべくも無い。是より吾は紀伊国熊野へ参詣して神力を祈りながら大願成就せんものと決心を固め師の坊月志法印へ熊野参詣の志望を申し出でたが、まだ幼者だからとて許されなかつた。

 南僧坊は今は是非なく或夜密かに寺門を抜け出し七崎の村を後に遥々紀伊路を指して出発してしまつた。 

 

宗善は妻に別れて楽しまず  遂に馬飼人となりけり。 

荒馬も宗善飼へば忽ちに  良馬となるぞ不思議なりけり。 宗善の死後は里人宗善を  観音堂建て祀り篭めたり。 

宗善を蒼前馬頭観音と  斎き祀れば良馬生るる。 

宗善は絵馬を好みて描きたれば  後人絵馬堂建てて祈れり。女身とは言へど骨格逞しく  男子に劣らぬ風格ありけり。 南僧坊母の遺言思ひ出し  弥勒出生の大願を立つ。 

桜花散る木蔭に座して瞑想に  耽る南祖は弥勒の世を待つ。紀の国の熊野に詣で神力を得んため師の坊に許しを乞ひたり。歳はまだ十三の坊幼若の  故もて師の坊旅行許さず。 

南僧坊決心固く夜の間に  寺門を抜けて紀州に向へり。