さて紀伊国熊野山は本地弥陀の薬師観音にして熊野三社と言はれ其霊験いやちこなりと伝へらるる霊場地であつて、三社の御本体は、瑞の霊(三ツの魂)の神の変名である。

 南僧坊は一ケ所の御堂に廿一ケ日宛三ケ所に篭もつて断食をなし、日夜三度づつ、水垢離を取つて精進潔斎し一心不乱になつて弥勒の御出世を祈るのであつた。恰度満願の夜半になつて、南僧坊は不思議の霊夢を蒙つたので、それより諸国を行脚して凡ての神仏に祈らんと熊野神社を後に第一回の諸国巡礼を思ひ立つ事となつた。 

 

南僧坊熊野三社に参詣し  三週三ケ所水垢離を取る。 

瑞御魂神の夢告を蒙りて  諸国巡礼の旅する南僧坊。 

熊野三社弥陀と薬師と観音は  三つの御魂の権現なりけり。数十年修行を為せと皇神は 男装坊(南僧坊)に宣らせ玉へり。 

 

 神勅に由つて熊野三社を立出でた男装坊は先づ高野山に登り大願成就を一心不乱に祈願し終つて山麓に来かかると、道傍の岩石に腰を下ろし休んで居た一人の山伏がつかつかと男装坊の前に進んで来た。見れば身長六尺余、柿色の法衣に太刀を帯び金剛杖をついて威勢よく言葉も高らかに、「如何に御坊修行は法師の業と見受けたり。汝男子に扮すれども吾法力を以て観ずるに全く女人なり。

 女人禁制の霊山を犯しながら修行などとは以ての外の不埒ならずや。必ずや仏の咎に由つて修行の功空しからん。万々一修行の功ありとせば吾前にて其法力を現すべし」と言葉を掛けられて男装坊は暫時ぎよつとしたるが、直に心を取り直し満面笑みを湛へながら、「汝吾に向つて女人なれば不埒とは何事ぞ、衆生済度の誓願に男女の区別あるべきや。吾に修行の功如何とは愚なり。三界の大導師釈迦牟尼如来でさへも阿羅々仙人に仕へて其の本懐を遂げ玉ひしと聞く。况んや凡俗の拙僧未だ修行中にて大悟徹底の域に達せず。御身に於ては又修行の功ありや」と謙遜しつつも反問した時、彼の山伏は鼻高々と答ふやう、「拙者はそもそも大峰葛城の小角、吉野にては金剛蔵王、熊野権現は三所その他山々渓々にて極めし法力によつて空飛ぶ鳥も祈り落し、死したる者も生かす事自由なり。いざ汝と法力を行ひ較べん」と詰めよるにぞ、男装坊は静かに答へ、「さらば貴殿の法力を見せ給へ」「然らば御目に掛けん、驚くな」と山伏は腰に下げたる法螺の貝を取つて何やら呪文を唱ふると見えしが、忽ち炎々たる火焔を貝の尻から吹き出してその火光の四方に輝く様は実に見事であつた。

 男装坊は泰然自若として暫時打ち眺め居たるが、やがてニツコと微笑みながら静かに九字を切つて合掌するや忽ち猛烈なりし火焔は跡なく消え失せて了つた。山伏は最初の術の破れたるを悔やしがり、何を小癪な今度こそは思ひ知らせんと許り傍の小高き所へ駈け上りざま、珠数も砕けよと押しもんで一心不乱に祈れば見る見る一天俄に掻き曇りピユーピユーと凄い風は彼方の山頂より吹き下りて一団の黒雲瞬く間に拡がり雪さへ交へて物さみしい冬の景色と変つて了つた。

 其の時に異様の怪物遠近より現はれ出で笑ふもの叫ぶものの声天地に鳴り轟きさも恐ろしき光景を現出した。然れども男装坊は少しも騒ぐ色なく、「扨ても扨ても見事なる御手の内」と賞めそやしながら真言即言霊の神器を用ゆれば、今までの物凄き光景は忽ち消滅して再び元の晴天にかへつた。 

 山伏は之を見て、「恐れ入つたる御手の内、愚僧等の及ぶ所に非ず。御縁も在らば又お目に懸らん」と男装坊の法力に征服された山伏は叮嚀に会釈を交して何処ともなく立去つて了つた。 

 斯くて男装坊は高野の山を下り紀州尾由村といふ所に差し掛り嘉茂と云へる有徳の人の許に一夜の宿を求めた。所が其の夜主人が男装坊の居室を訪ねて言ふよう、「実は私の妻が四年斗り前から不思議の病気に犯され、遠近の行者を頼みて祈祷するも一向少しの効目も無く誠に困り果ててゐる次第なれば何卒御坊の御法力を以て御祈念給はり度し」と言葉を盡して頼み込む様子に男装坊は「してその御病気とは」と問へば「ハイ実は夜な夜な髪の中から鳥の頭が無数に出ては啼き叫び、その鳥の口へ飯を押し込めば忽ち頭髪の中へ隠れるといふ奇病です。何と云つても毎夜毎夜のことで妻は非常に窶れ果て明日をも知れない有様、何卒御見届けの上御救ひ下され度し」と涙をはらはらと流して頼むのであつた。

 男装坊は暫時小首を傾け考へて居たが、「はて奇態なる事を承はるものかな。何はともあれ拙僧及ばず乍ら其の正体を見届けし上祈念を為さん」と快よく承諾した言葉に主人は欣喜雀躍するのであつた。

 扨てその夜丑満と思しき頃になると案の如く病人の頭から数十羽の鳥の頭が出て啼き叫ぶ様は実に気味の悪い程である。男装坊は病人の苦しむ様子を熟視した上、「扨ても扨ても不憫の者なるかな」と座敷の中央に壇を飾つて病人を北向きに直し、高盛の食十三盛、五色の幣三十三本を切り立て清水を盥に汲んで、「足」といふ文字を書いた一寸四方の紙片を水に浮べ、さて衣の袖を結んで肩に打ちかけ珠数をさらさらと押しもんで暫く祈ると見えしが不思議なるかな今まで七転八倒の苦しみに呻吟して居た病人は忽ち元気付き頭の鳥は一羽も残らず消え失せて了つた。

 「最早大丈夫明晩からは何事も無かるべし」と言へば主人を始め並居る一統の人々は非常に喜んで礼を述べ勧めらるるままに一両日足を停むることとはなつた。 

 果してその翌晩からは何事もなくなつたので男装坊は止むる家人に、「急ぎの旅なれば」と別れを告ぐるや主人は「名残惜しき事ながら最早是非もなし、些少ながら」とて数々の進物を贈らうとしたが、「拙僧は身に深き願望あつて、諸国を廻るもの一切施し物は受け難し。去り乍ら折角の御厚志を無にするも何んとやら、又一つには病人より離れた鳥どもは此のままにして置いてはさぞや迷ひ居るならんも心許なし、今一つの願ひあり、是より東に当つて一里斗りの所にある竹林の中へ一つの御堂を建立し、額に鳥林寺と銘を打ち給はらば幸なり」と言ひ残してから家人に再び別れを告げて道を急いだ。

 それより男装坊は二名の嶋へ渡り数々の奇瑞を現はし九州に渡つて筑紫の国を普く廻り所々にて病人を救ひ或は御堂を建立する事数知れず再び本土に帰り熊野に詣で三七日間の祈願を篭め第二回目の諸国行脚に出た。 

 

男装坊熊野を後に紀伊の国  高野の山に詣でてぞ行く。 

高野山下れば麓の道の傍に  山伏ありていどみ懸れり。 

男装坊山伏僧の妖術を  残らず破れば山伏謝罪す。 

高野山あとに尾由の村に入り  嘉茂のやかたに露の宿りす。嘉茂の妻奇病を救ひ寺を建て  急ぎ二名の嶋に渡れり。 二名嶋筑紫の嶋を経巡りて  奇蹟現はし衆生を救へり。 

男装坊再び熊野に引き返し  三七日の荒行を為す。 

男装坊爰より二度目の国々の  行脚の旅に立ち出でにけり。